サッカー批評に動虎特集(6P)
c0046471_526462.jpgちょっと鼻毛が出ている。


「サッカー批評」の中で「海を越えてきたフットボーラー」というコーナーがあって
今号では動虎がなんと6Pの紙面を割いて紹介されています。
動虎の経歴と合わせて内容をご紹介します。

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73年 ブラジル・マラニョン州に生まれる
  ・5,6歳でサッカーを始める。フットサル、バレー、バスケットも経験
  ・11,12歳のころには陸上競技も経験し連日20kmくらい走り込む
  ・15歳 地元のクラブ・バカバウFCに練習生としてスカウト
  ・このころの動虎のポジションはトップ下。ライバルが多く試合には出れず。
   午前と午後の練習の後、夜間高校に通う毎日
92年 プロ契約
  ・プロ契約をした日「人生で一番嬉しい日だった。」
93年 パイサンドゥへ移籍
  ・日本でいえばJ1のパイサンドゥへの移籍の条件が左SB
  「もちろんやりたいのはMFだったから、ちょっと辛い決断だった。でもとにかく試合には出たかった。
   せっかく試合の模様が全国放送されるチームに移れたし、
   ここでプレーすれば故郷の家族も見てくれるからね。」
  ・94年アメリカW杯の後のセレソン後継者としてロベカルと比較され始める
   ロベカル「オレとドゥトラが争って、どちらかが次のセレソンでプレーをするだろう」
  ・95年ロベカルがセレソンに抜擢
   「やはりセレソンに選ばれるには、目立つ必要があるからね。
    どうしても、強くてファンが沢山いるチームに属していた方が有利になるよ」
96年 サントスと3年契約
  ・「これで自分の名前がブラジル全土に知れ渡ると思ったよ。
    いよいよセレソンに入ると言う目標は現実的になり、チャンスも広がった。
    実際にサントスの監督も、代表監督と頻繁にコンタクトを取り
    僕のことを推薦してくれていたらしい。」
  ・マルセイユ等の欧州クラブからもオファーが来るものの実現せず
  ・98年監督と口論をきっかけにアメリカ等にレンタル移籍
01年 Fマリノスへレンタル移籍
  ・横浜のオファーは4ヶ月の短期レンタル。それならいいか、と受託
   終わったらブラジルに戻るのもいいし、
   好条件のオファーを出していたポルトガルのクラブへ移籍する選択肢もあった。
  ・レンタル期間終了時、横浜からさらに1年契約更新のオファー
   他に条件の良いオファーを出すチームは無くなっていた。
  ・「正直なところ、辛い決断だったよ。すっと日本に居たら、母国からは見てもらえない。
   もうセレソンには入れないな、と思った。
   結局僕はそこまでの成功を手にすることが出来なかったんだ。
   そう考えるしかなかったからね。」
  ・初めは決して居心地が良いとはいえなかった日本にも徐々に慣れ、
   3年目に入る頃にはこのままプレーし続けてもいいかな、と考えるようになった
   「まず妻が気に入り始めたからね。再契約をすることにした。
    日本は治安がいいし、相手に対して敬意を払うところが素晴らしい。
    ただ今でも地震は怖いよ。」

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セレソン左SBをロベカルと争って夢破れた動虎。
日本での契約延長時、その自らの夢を諦めることを伴っていたため辛い決断を強いられた動虎。

でもこの特集の最後は次のようなインタビューで締められています。


セレソンの夢を断念して日本行きを選んだドゥトラ。
今年33歳になるが「将来の夢」という問いへの答えは決まっている。
「みんな笑うんだけどね。子供達を立派に育てること。それしかないよ。
 だってそれ以外のことは、もう十分に神様から与えてもらっているからね。」


こーゆーところが大好きです。
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by dutra_shirt | 2006-03-11 06:35 | マリノス徒然
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