はじめは、内股で不安定な走りはその選手の癖なのかと思った。
が、8区の残り3km付近で明らかに道路のセンターへ、センターへと蛇行し始めたそのとき 随行車に乗った順天堂大学の仲村明監督がたまらず飛び出る。 その手にはペットボトル。 脱水症状で意識が朦朧とし始めていることはTVで見ていても分かった。 学生時代、脱水症状をなめてはいけない、と体育会の先輩から教わった。 脱水症状がでたらすぐに運動を止め、水分を補給し、日陰の涼しい場所へ移動するように、と。 近年では「熱中症で死亡」なるwordも新聞を賑わすくらいだから 順天堂大学のキャプテンを務める難波選手に、 この時大げさではなく、死と隣り合わせの危機が迫っていた。 仲村監督が、蛇行する難波選手へ水を渡し、一言二言話し掛けたのがわかった。 恐らく「ぺースを落とせ、歩いてもいい」というタイミングだったかと思う。 このときはまだ難波選手は時々バランスを崩しながらも、何とか意識を繋いで走ることができていた。 キャプテンとしての責任感、襷にかかる順天堂大学全選手・全スタッフの思いが、 彼の意識をなんとか繋ぎとめていたものの、 それが切れ掛かる瞬間がもう一度訪れたのは残り200~300m付近だったろうか。 一瞬、バランスを失い、両手で泳ぐような仕草をした難波選手の足がとまり、 そのまま失神して倒れるか、と思われた直後、 失いかけた意識の中で、なお彼は足を前に進めた。 倒れかけた体は、失われた推進力を進めた足によって取り戻した。 「前へ」 その一念。 最後はよたよたと歩くようなスピードで、襷を渡すと彼は崩れ落ちた。 足が止まりかけたのが、残りあと200~300m地点ではなく、 1kmもあった地点だったら監督は彼が走るのをとめたかもしれない。 「足が痙攣し、責任感からかパニックに陥って脱水症状を併発した」との報道がされたが 私はむしろ逆だと思う。 脱水症状で意識が朦朧とする中、彼の足を前に進め、 そして見事次のランナーに襷を渡すまでの間、 途切れかかる意識をなんとか繋ぎとめたのは、 彼のキャプテンとしての責任感以外なにものでもない。 3分近くトップを独走していた順天堂大学の順位は5位に落ちた。 彼のこのブレーキが原因で、同大学は優勝を逃した。 今年4年生の彼のこのブレーキを、彼自身が箱根でリベンジする機会はもう永久に訪れない。 だが、彼の襷を繋げる執念は、後輩達に十分に伝わったはずだ。 彼の不屈の精神力を、彼が背負った襷の重さを、 毎年正月が来るたび、箱根駅伝を見るたびに思い出すことだろう。
by dutra_shirt
| 2006-01-05 12:28
| 日々徒然
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